【大相撲】「弓取式」とは?選ばれる力士や起源など詳しく解説!

2019年5月8日

弓取り式は、大相撲の取組終了後に行われる1つの催しです。力士は、弓をビュンビュンと振り回し会場を大いに沸かせます。

当記事では、弓取式に選ばれる力士や給料さらには起源などについて詳しく説明しています。弓取式について気になる方はどうぞ寄ってってください!

最後の催し「弓取式」

大相撲の「弓取式」は、取組全てが終わった後に行わる、その日最後の催しです。「弓取式」では、取組終了後に選ばれた力士が土俵の上に上がり、弓をぶんぶんと振り回し見る者を沸かせます。

ちなみに現在のように「弓取式」が場所中毎日行われるようになったのは1952年1月場所以降からです。

取組が終わったからといってすぐ帰るのではなく、最後の「弓取式」までキチンと見てこそ「通」といえます!横綱土俵入りのときのように、力士が四股を踏む際には観客が一斉に「よいしょー!」と声かけするので、ぜひ一緒に声に出してみましょう。

取組がいつもより早く終わったときには、稀にTV中継でも「弓取式」が放映されるので、お見逃しなく!

落とした弓は「足」で拾う!?

もし、弓取式で力士が弓を土俵に落としまったら、力士は手ではなく「足」で弓をすくい上げます。力士は、「足」で弓を手前に近づけ、そのまま跳ね上げて器用に弓を手繰り寄せます。

これは、「勝ち力士は絶対に土俵に手をつかないとの建前」ゆえで、土俵に手をつくと「負け」となり縁起が悪いため、力士はわざわざ足を使って弓を取ると言われています。

選ばれる力士は?

「弓取式」は、原則、横綱が在籍する部屋に所属する力士かつ幕下以下の番付下位の力士が弓取式に選ばれます。ただし、1946年11月場所では新入幕の「大岩山」が、幕内力士としては初となる弓取力士に選ばれています。

特に横綱と同部屋力士とするのは、最後の結びの一番で勝利した力士に代わり、弓取式に選ばれた力士が立行司から弓を授かり弓取式を始めるのが大きな理由です。ですから、もし横綱不在の場所であれば、大関が所属する部屋の力士の中から選ばれます。

給料

弓取式には、ちゃんとした手当もついており、1場所につき9万円ほどの給料も発生します。特に、給料がもらえない幕下以下の力士にとっては、貴重な収入源といえるでしょう。

弓取式の起源

弓取式は、平安時代に行われた相撲節会が起源とされています。これは平安時代の王朝絵巻で確認することができ、そこには20番あった取組ごとに、勝利者の立合役が1人弓を取って「立合舞い(勝ち舞踊)」を行ったと示されており、今も弓取式の起源とされています。

一説には織田信長が安土城で相撲大会を開いた際、勝ち名乗りを受けた力士に重藤の弓を与えたのが起源とも言われています。ただ、こちらは『信長公記』で弓のことが全く触れられてないため、信憑性は乏しいと言わざるを得ません。

また、江戸時代の1791年6月には、徳川家斉の上覧相撲で、小野川北三郎に勝ち名乗りを上げた谷風梶乃助が弓を受けと、「四方にふり廻しなどし」との記述が、成島峯尾の『すまひの記』(1791)で確認でき、現存する弓取式の最初の記録となっています。

ちなみに1791年以降からは、千秋楽での幕内力士の取組がなくなったため、勝ち名乗りを受けた力士に代わって幕下力士が弓取式を行っています。現在でも番付下位の力士が弓取式を行うのは、その名残りとなるわけです。

三役揃い踏みでは「矢」、「弦」、「弓」が!?

千秋楽最後の取組3番となる「三役揃い踏み」では、勝ち名乗りを上げた力士が「矢」(小結位置)、「弦」(関脇位置)、「弓」(大関位置)が授けられます。

これは天明・寛政年間(1781~1801)に始まったとされ、弓取式の原点だと言われています。

記事:「三役」とは?これより三役?三役揃い踏み?

総括

弓取式は、場所中最後に行われる催しもの。落とした弓は手でなく足で手繰り寄せるのが慣例となっています。また、その起源は平安時代に行われた相撲節会と言われています。

生で弓取り式を見ると迫力も段違いです!1度、現地で見ることをオススメします!