【大相撲】横綱には「免許」があった!?意外な事実や起源など詳しく解説!

意外に思われるかもしれませんが、実は横綱にも「免許」があります!横綱は、その免許をもらって初めて横綱と名乗ることができるのです!

当記事では、横綱の「免許」についての意外な事実やその起源、そして現在の免許について詳しく解説しています。大相撲の最高位である横綱についてもっとよく知りたいという方、どうぞ寄ってってください!

横綱は元々「免許」をもった“大関”

元来、横綱というのは、「横綱免許状」を与えられた“大関”のみが名乗ることができ、さらに免許を仮に受理された力士も、現在のように番付には“横綱”ではなく、“大関”として記載されていました。あくまでも横綱を締めた“大関”という認識だったわけです。

番付で初めて“横綱”と記載されるようになったのは、第16代横綱にあたる西ノ海嘉治郎 (初代)からと、ずいぶん後になってから。地位としての“横綱”が初めて確立した時期ともいえるでしょう。

免許の始まり

横綱の免許状は、江戸相撲の司家である吉田追家・吉田追風(19代)が「横綱」という地位を確立した後、1789年に谷風梶之助小野川喜三郎の両大関に渡したのが始まりとされ、今日では4代目、5代目横綱に数えられています。

【画像】谷風梶之助の横綱免許状「日本相撲協会」公式ツイッター

ちなみに、それ以前にも綾川五郎次および丸山権太左衛門といった両大関にも横綱の免許を渡したといった記録(免許を与えた記録そのものは火災で紛失)が間接的ながら残っており、現在では谷風、小野川より前の2代目、3代目の横綱に数えられています。

ただし、2代目、3代目横綱に関しては、初代横綱・明石志賀之助とともに伝説上の人物として、その存在自体が疑問視されています。

なお、横綱の免許そのものは、谷風梶之助と小野川喜三郎以前から、吉田司家以外の五条家を筆頭とする様々な方面より手渡されていましたが、今日では権力争いを制した吉田司家の免許が正式な免許として扱われています。

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現在は「推挙式」で「免許」がもらえる

1950年に横綱審議委員会(横審)が発足されたことにより、吉田司家のよる横綱の免許制度は、第40代横綱・東富士欽壹を最後に廃止されています。また、慣例として行われていた吉田司家の表敬訪問もまた1986年に誕生した第60代横綱・双羽黒以降には行われなくなっています。

ただ、それで横綱の免許が完全になくなったというわけではなく、横綱に昇進した後に明治神宮で行われる「横綱推挙式」にて、「推挙状」として横綱に免許が受理されるようになっています。

【画像】稀勢の里推挙状「朝日新聞デジタル」

総括

  • 横綱は元々、免許を持った大関。
  • 谷風梶之助と小野川喜三郎が初めて正式に横綱の免許を受け取ったとされる。
  • 現在は横綱昇進後の推挙式にて「推挙状」が横綱に受理される。