46代横綱・朝潮太郎は少年たちに人気の力士!

2019年4月18日

 46代横綱の朝潮太郎は太い眉毛と濃い胸毛がトレードマークの横綱で、その風貌と性格があいまって少年たちから人気を博した力士です。朝潮という四股名は今日まで続く伝統ある四股名と知られていますが、46代横綱・朝潮太郎は果たして何代目にあたるのかについても詳しく説明しています。興味のある方はどうぞ寄ってってください。

46代横綱・朝潮太郎は少年たちに大人気!

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 46代横綱となった朝潮太郎は、太い眉と濃い胸毛が特徴的で、主に1950年代にかけて活躍した力士です。生まれは兵庫県ですが、後に鹿児島徳之島へと移り住んでいます。身長189㎝・体重145㎏。所属部屋は高島部屋。幕内優勝5回。

 朝潮が横綱になった時期は、ちょうど栃錦・若乃花と大鵬・柏戸といったそうそうたる横綱に挟まれていることもあってどうしても影が薄く見られがちです。しかし、朝潮は、優しい性格で特に少年に対して抜群の人気を誇っていました。また、少年マガジンの創刊号の表紙を飾り、映画出演を果たしたこともあります。また、大阪場所がめっぽう強かったこともあり、「大阪太郎」というあだ名もつけられていました。

 1959年3月場所では、優勝こそ逃すも13勝2敗の好成績を収めて横綱昇進を決めています。しかし、横綱昇進後は怪我に悩まされ、直後の1959年7月場所から11月場所の3場所もすべて休場してしまいます。

 1960年1月場所には復帰するものの、横綱としては翌1961年3月場所で1回優勝したきり、その年限りで引退しました。

46代横綱・朝潮太郎は3代目?4代目?

 現在(17’09.17)までに「朝潮」という四股名は5代続いており、角界でも伝統ある四股名として知られています。ですが、46代横綱となった朝潮は3代目なのか4代目なのかよく混同されがちです。これにはきちんとしたわけがあります。

 3代目とされる朝潮は、土俵に上がりたてのころはまだ「男女ノ川」という四股名でした。そして、新入幕したときから「朝潮」という四股名で土俵に上がるようになるのですが、このときは「朝潮供次郎」という四股名に改名しています。

 他の朝潮たちの名前が全て「太郎」であるのに対して、3代目に限っては「供次郎」と別の名です。このため46代横綱の朝潮は、朝潮のみを指す場合だと4代目となり、「朝潮太郎」だと3代目となるわけです。

 ちなみに3代目朝潮は、1932年1月の春秋園事件により朝潮は協会を一時的に脱退してしまいます。この行動に激怒した師匠は。再び四股名を「男女ノ川」と戻されています。これ以降、男女ノ川という四股名は変わることなくそのまま引退しています。こうした経緯もあって朝潮を3代目と認めないという考え方も無きにしも非ずです。

 「供次郎」も含めこれまで朝潮の四股名を名乗った力士は、全て大関または横綱になっています。今後、朝潮の名を受け継ぐ力士がどんな力士となるのか楽しみにして待ちましょう。