横綱昇進後は優勝なしで引退した力士たち


 歴代横綱のなかには、晴れて綱取りを果たしたものの、その後は優勝できずに引退してしまった力士が何人かいます。その力士らを紹介しているので、興味のある方はどうぞ寄ってってください。なお、今回は幕内最高優勝制度が事実上制定された1909年6月場所以降に誕生した横綱の紹介に限ります。

24代横綱・鳳谷五郎(おおとりたにごろう)

Otori

 鳳は2度目の優勝を果たした直後に横綱へと昇進しています。2度の優勝はいずれも大関時代に果たしており、1度目は1913年5月場所、2度目は1915年6月場所で全勝優勝を果たしています。横綱昇進後は足の怪我や糖尿病に悩まされ、そのまま優勝できず1920年5月場所を最後に引退となっています。

25代横綱・2代西ノ海嘉治郎(にしのうみかじろう)

The 25th Yokozuna Nishinoumi Kajirō II ca. 1916
 西ノ海は1916年1月場所において、当時としては史上最高齢となる35歳11か月(2012年に旭天鵬勝が37歳8ヶ月で優勝して更新。)の幕内優勝を果たし、その後に横綱へと昇進しています。横綱に昇進したものの既に峠を越えて西ノ海は、2度目の優勝をすることなく1918年5月場所を最後に引退しています。

33代横綱・武藏山武(むさしやまたけし)

Musashiyama3
出典:Wikimedia Commons

 武藏山は、入門してから数々の最年長記録を打ち立てており、1931年5月場所においては小結ながら初優勝を果たしています。不幸だったのは、大関に昇進した直前の場所で右肘に重傷を負ってしまったことです。武藏山は1935年1月場所、5月場所で優勝こそできませんでしたが、肘が悪いながらも好成績を収めてなんとか横綱へ昇進しています。しかし、既に肘は限界にきており、その後は休場が相次ぎ、1939年5月場所を最後に引退しています。

34代横綱・男女ノ川登三(みなのがわとうぞう)

Minanogawa
 一時期、四股名を「朝潮」の名を名乗ったこともある男女ノ川は、平幕だった1933年1月場所に初優勝、翌年の1934年1月場所に2度目の優勝を果たして大関へと昇進しました。大関昇進後は好成績を収めて綱取りを果たしていますが、結局優勝することなく1942年1月場所を最後に引退しています。

37代横綱 安藝ノ海節男(あきのうみせつお)

Akinoumi

 安藝ノ海といえば、双葉山の70連勝を阻止した横綱として有名ですが、横綱時代に優勝したことはありません。おろか、関脇だった1940年7月場所で初優勝をしたきり、その後は優勝なしで1946年9月場所を最後に引退となっています。

39代横綱・前田山英五郎(まえだやまえいごろう)

Maedayama

 前田山は、野球好きが高じて初めて「横綱」をクビになった力士です。現在でも、しばしば「シールズ事件」として取り上げられることがあります。現役時代は、大関だった1944年9月場所で1度だけ優勝を果たしています。1949年9月場所を最後に引退。

↓前田山についてもっと知りたい方は以下の記事をご覧ください。

43代横綱・吉葉山潤之輔(よしばやまじゅんのすけ)

Yoshibayama Junnosuke Scan10004

 吉葉山は、人違いがきっかけで角界入りした珍しい経歴の持ち主です。応召より、戦地で受けた弾丸2発の影響で、引退するまで満足のいく取組がとれなかった吉葉山ですが、初優勝は今でも「雪の全勝行進」として語り草になっています。この優勝で横綱へ昇進しますが、その後に優勝することはありませんでした。1958年1月場所を最後に引退。ときに「悲劇の横綱」と呼ばれることもあります。

↓吉葉山についてもっと知りたい方は以下の記事をご覧ください。
「43代横綱・吉葉山潤之輔の現役時代は波瀾万丈!? 」

60代横綱・双羽黒光司(ふたはぐろこうじ)


 素質抜群と言われながらもその期待を見事に裏切ったのが双羽黒です。横綱昇進後のみならず大関・平幕時代にも優勝することなく引退したのは、後にも先にも双羽黒だけです。1988年1月場所を最後に24歳という若さで突然の引退しており、その後はプロレスラーへと転身しています。

66代横綱・若乃花勝(わかのはなまさる)



 弟の貴乃花とともに「若貴フィーバー」を巻き起こした若乃花もまた、横綱昇進後は1度も優勝することなく引退しています。それでも、平幕と大関時代に計5度の優勝を果たし、2場所連続優勝での横綱昇進です。昇進後は怪我に悩まされ、2000年3月場所を最後に引退。引退後はタレントとして活躍しています。


コメント