43代横綱・吉葉山潤之輔の現役時代は波瀾万丈!?


 43代横綱・吉葉山潤之輔の現役時代はまさに波瀾万丈です。現在ではとても考えられないような経験をしており、伸び盛りに4年ものブランクを作ってしまいます。それゆえに悲劇の横綱と称されることもあります。その吉葉山に襲った危機とは何か!?興味のある方はどうぞ寄ってってください。他にも吉葉山の角界入りのきっかけとなった面白いエピソードについても紹介しています。

43代横綱・吉葉山潤之輔は戦地で銃弾2発を浴びる!


 43代横綱となった吉葉山潤之輔は、1950年代にかけて活躍した力士です。出身地は北海道で、3男として生まれ育っています。当時から体は大きかったみたいです。身長179cm・体重143kg。所属部屋は高島部屋。幕内優勝1回。

 吉葉山は元々力士になるつもりはなく、上京したのも仕事の技術を磨くという理由からです。ところが、着いた駅には若手力士が2人おり、吉葉山はそのまま高島部屋へと向かいます。後に人違いだったことがわかるもそのまま入門しています。吉葉山の力士なったきっかけは、なんとただの人違いだったのです。

 ひょんなことから角界入りした吉葉山でしたが、力士としては確かな才能を持っており、1942年5月場所に幕下優勝を果たして十両昇進を確実なものにします。ですが、運悪く1942年に応召されてしまい戦地へ赴くはめになります。戦地では2発の銃弾を浴びており、1発は貫通、さらに1発は足首に残ったままになってしまい後の相撲にも影響します。

 4年後の1946年に晴れて角界へ戻った吉葉山は、1947年6月場所十両から復帰します。そして、1951年初月場所終えた後に大関へ昇進、1954年初場所に全勝優勝して横綱へと昇進しています。

 横綱になってから優勝することは1度もなく1958年初場所を最後に引退しています。過去に受けた銃弾の影響あったため“悲劇の横綱”とも呼ばれました。

悲願の全勝優勝!伝説となった優勝パレード

 1951年初場所は、吉葉山が全勝優勝して横綱昇進を決定づけた場所です。吉葉山がここに至るまでの経緯が経緯だっただけに、優勝パレードは大雪だったにもかかわらず全国からファンが詰めかけています。大相撲史上最高とも目されるこの優勝パレードは、「雪の全勝行進」と称されて現在では伝説となっています。

 吉葉山は幕内優勝こそ1回だけでしたが、人気が高く記録よりも記憶残る横綱だったといえるでしょう。


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