42代横綱・鏡里喜代治は引退覚悟で場所に臨むも・・・

 
 42代横綱・鏡里喜代治は、非常に潔い引退をしています。現役を続けることも可能でしたが、「ある公約」を果たせなかったがために引退しています。また、鏡里は現役時代に軍隊へ入隊した過去も持っています。青森初の横綱でもある鏡里に興味のある方はどうぞ寄ってって下さい。

第42代横綱・鏡里喜代治は平幕時代に軍隊へ入隊

Kagamisato
出典:Wikimedia Commons

 第42代横綱になる鏡里喜代治は、昭和の半ばの1940年以降に活躍した力士です。出身地は青森県。取り口に関しては、突っ張りからの速攻相撲を得意としていましたが、平幕時代に左膝を負傷してからは右四つへと取り口が変化しています。また、逸話として生まれたときには既に8kgもの体重があったといわれています。身長176cm、体重165kg。幕内優勝2回。

 鏡里は初土俵を踏んだ翌年の1942年に双葉山相撲道場(現:時津風部屋)へ移籍しています。これは師匠であった粂川が弟子の全てを双葉山に譲ったためです。そして、しばらくは双葉山の指導を受けることになります。

 そして、2年経った1944年9月に弘前第69連隊へ入隊させられます。このとき、ラジオで双葉山が東富士に敗れたことを耳にして打倒・東富士を目標に掲げています。無事大相撲に復帰した鏡里は、1949年10月場所に目標だった東富士から金星をあげています。

 その後も順調に番付を上げていき1951年5月場所には大関へと昇進、1953年1月場所では初優勝を果たしそのまま横綱になっています。

10勝できなかったら引退と公言

 鏡里は横綱になってから二桁勝利を収めていたもののなかなか優勝することはありませんでした。ですが1955年秋場所と翌1956年初場所で連覇を果たし、さらに同年秋場所でも14勝1敗の成績で優勝しています。

 ただ、翌年の1957年は一度も優勝することなく11月場所は全休しています。そして、1958年初場所を迎える前に鏡里は、「10勝しなければ引退」と公言して覚悟をもって場所に臨みます。ですが、その場所は9勝6敗で終えてしまいます。公約を果たせなかった鏡里はその言葉どおり場所後に引退を表明。自分の言葉には責任を持たなければならないことを示した良い見本といえるでしょう。


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