41代横綱・千代の山雅信は北海道初の横綱!


 これまでに多くの北海道出身の横綱が輩出されていますが、41代横綱・千代の山雅信がその初めです。千代の山は、過去に横綱昇進を見送られるという不運を乗り越えて横綱になっています。また、横綱昇進後はすぐ苦境に立たされてしまいある意外な行動をとります。その行動とは何か!?興味のある方はどうぞ寄ってって下さい。

41代横綱・千代の山雅信は連覇するも横綱になれず

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出典:Wikimedia Commons

 41代横綱となった千代の山雅信は、長身からの突っ張りを武器に1940年代後半から59年後半かけて活躍した力士です。優勝は6回。また、北海道から初めて輩出された横綱でもあります。北海道出身の横綱は多く、他に吉葉山潤之輔(43代)、大鵬幸喜(48代)、北の富士勝昭(52代)など挙げられます。身長192cm・体重122kg。所属部屋は出羽海部屋。

 千代の山雅信は大関として連覇したにも関わらず横綱昇進を見送られた過去を持ちます。初大関として迎えた1949年10月場所に13勝2敗として優勝、続く1950年初場所でも12勝3勝として連覇を果たしています。ですが、当時は前田山英五郎のシールズ事件が問題視されていた時期でもあり、横綱昇進を見送られてしまいます。

↓シールズ事件の詳細は以下の記事を参照。
39代横綱・前田山英五郎は戦後初の横綱

 千代の山雅信が横綱昇進を果たしたのは、1951年5月場所を14勝1敗として3度の優勝を果たしたときです。1949年昇進を見送られてからおよそ1年2か月後の出来事でした。また、先場所の1951年初場所は8勝7敗としています。

横綱返上を申し出たことも

 一時は横綱昇進を見送られながらも、千代の山は何とか横綱へ昇進しました。ですが、その後はパッとしない成績が続くことになります。特に1953年は、初場所および春場所ともに途中休場、夏場所は全休しており、とても横綱とはいえない成績でその年を終えています。

 このあまりに不甲斐ない成績に千代の山は、春場所を終えたあと自ら横綱返上を申し出ています。ただ申し出が認められることはなく、休場明けとなる1954年初場所は横綱として土俵に立っています。四股名を「千代ノ山」から「千代の山」に改名したのもこのとき。

 1954年からは次第に調子を上げ1955年の初場所、春場所を連覇、1957年には初の全勝優勝を果たして横綱の貫禄を見せつけています。


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