39代横綱・前田山英五郎は戦後初の横綱


 39代横綱・前田山英五郎は、戦時中に主に大関として活躍しています。同時代には69連勝をしたあの双葉山もいて勝利したこともあります。戦後初の横綱となったあとはわずか6場所で引退をしています。ただ、引退に至った経緯もそれなりのワケがあるので、そのワケも踏まえて紹介しています。

39代横綱・前田山英五郎は大関を9年間経験


 39代横綱となる前田山英五郎は、日本が戦時下から終戦となる1930年初頭から1940年後半にかけて活躍した力士です。身長180cm・体重120kg。所属部屋は高砂部屋。

 得意の張り手を武器に1938年に関脇を飛び込えて大関になった前田山は1941年の1月場所で、立浪3羽カラスと呼ばれた双葉山・羽黒山・名寄岩を一層しています。1944年11月場所では9勝1敗の成績で初優勝。ただ、当時は太平洋戦争だったこともあり、横綱昇進はかなり後になっています。

 前田山が横綱に昇進したのは1947年6月場所を終えた後でした。この場所、羽黒山に敗れはしたものの優勝決定戦まで進んだことが評価されて横綱へと昇進。大関になってから実に9年もの歳月が流れており、悲願達成の瞬間でもありました。同時に戦後初の横綱ともなっています。

野球観戦が原因で横綱をクビに!?

 前田山は、横綱になったのが33歳とかなりの遅咲きだったこともあり、横綱になってからわずか6場所の1949年10月場所で引退しています。年数にしてちょうど2年です。(当時の場所は年2~3回の開催。)この6場所で引退というのは、昭和以降に誕生した横綱だと現在でも歴代1位の記録として残っています。2位は8場所の引退で、琴櫻傑將・三重ノ海剛司・双羽黒光司。

 前田山の引退は本人の意思ではなく、協会から引退勧告を出されたいわば“クビ”です。原因は、先の10月場所の場所途中で休場を出していたにもかかわらず、後楽園球場で野球観戦をしていたことが発覚したためです。14日目に復帰しようした前田山でしたが、時すでに遅し、協会からは出場を拒否されそのまま引退に至っています。

 引退こそなりませんでしたが、ちょうど朝青龍がサッカー事件を起こしていたときと状況が似ています。その朝青龍も最終的に暴行事件で引退を余技なくされていることを考えると、改めて横綱とは実力だけでなく品格も大切だということを考えさせられます。


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