稀勢の里の出身地に困惑!?昔は才能抜群の野球少年!

2019年4月20日

 稀勢の里の優勝及び横綱昇進で日本中が感動の渦に包まれる中、稀勢の里の出身地を巡る問題が勃発しています。そこで早速、稀勢の里の出身地について詳しく調べました。さらに稀勢の里は野球少年として過ごし、相撲に勝るとも劣らないほどの活躍をしていたことも分かっていますので、興味がある方はどうぞ寄ってって下さい。

稀勢の里の出身地はどこ?

 まず、大相撲公式サイトで稀勢の里の出身地は、茨城県牛久市と牛久市になっています。実際、稀勢の里が優勝した際も牛久市で優勝パレードが行われています。

 ですが、稀勢の里は、牛久市に来る前に2回の引っ越しを経験しています。まず、稀勢の里が生まれた場所は兵庫県芦屋市です。その後すぐ稀勢の里が2歳の時に茨城県龍ケ崎市へ引っ越しています。

 そのまま稀勢の里は龍ケ崎市の松葉小学校、長山中学校に通っており、稀勢の里が隣市である牛久市にやってきたのは、中学2年の頃からです。ただ稀勢の里はこのとき転校をしていません。

 このように稀勢の里は、中学卒業までの大半を龍ケ崎市で過ごしています。さらに稀勢の里は周知の通り中学卒業後すぐに角界入りして、千葉県松戸市にある鳴門部屋(現:田子の浦部屋)へと移り住んでいます。

 ゆえに稀勢の里が牛久市にいた期間は実質2年にも満たないのです。ちなみに稀勢の里の両親は現在も牛久市に住んでいます。

 これを聞くと、稀勢の里の出身地が牛久市であることに疑問を持つ方も多いはずです。何せ幼少期の大半を龍ケ崎市で過ごしており、さらに牛久市で過ごした期間はわずか2年。

 そもそも何故、稀勢の里の出身地が牛久市となったのかというと、実は鳴門部屋に入門する際に茨城県牛久市として相撲協会に登録してしまったからなのです。

 おそらく稀勢の里もこの出身地登録を気にも留めていなかったと思いますが、優勝した際にはメディアも稀勢の里の出身地は牛久市?龍ケ崎市?どっちなの?と取り上げています。

稀勢の里の出身地は牛久市?龍ケ崎市?

 公式出身地は牛久市となっているものの、幼少期の大半を龍ヶ崎市で過ごした稀勢の里。どちらも稀勢の里の出身地と読み取ることができ、実際、稀勢の里が優勝して横綱になった際も双方の市から市民栄誉賞を授与しています。

 ただ、この市民栄誉賞授与を先に動いたのは、公式の牛久市ではなく龍ヶ崎市。その後に牛久市も授与しています。

 このとき双方のインタビューでは、稀勢の里の出身地であることを譲らないものの、「互い協力して応援していく」という見解は一致しています。稀勢の里にとってもそれが一番嬉しいに違いありませんし、今後も稀勢の里の出身地として応援を頑張ってもらいたいです。

 結局、稀勢の里の出身は公式こそ牛久市となっていますが、牛久市・龍ヶ崎市どちらとも受け取れそうです。筆者としては、いっそのこと出身地は茨城県牛久市・龍ケ崎市にしてみたらとも思えるのですが…。

稀勢の里は野球も凄かった!

 先のとおり稀勢の里は、龍ヶ崎市の小中学校に通いながら、小学2年のときから相撲を始めています。ですが、稀勢の里は小学4年になると野球も始めており、相撲とともに中学まで続けています。

 小学校のときに稀勢の里は、地元の「龍ケ崎ハリケーンズ」という野球チームに所属しています。この時、稀勢の里は4番・捕手として活躍しています。また、プロ野球選手で2015年にロッテに入団した原嵩選手も龍ケ崎ハリケーンズ出身です。

 当時のハリケーンズ監督・岩瀬正和さんも、稀勢の里に非凡な才能を感じており、チーム初のプロ野球が誕生するかもしれないと思っていたほどです。なんでも「体が大きいのに運動神経が良くて俊敏性もある。肩も強かった」みたいです。

 その後、中学校でも稀勢の里は野球を続けるですが、この時に「竜ケ崎シニア」の体験入団に訪れており、2学年上で後のプロ野球となる西武・大崎雄太選手と何故か相撲も取っています。中学でも稀勢の里は大活躍しており、中学3年になるとエースで4番も努めていています。

 また小中学のときに稀勢の里は、同郷でプロ野球選手の楽天・美馬学選手との対戦経験もあります。美馬選手は当時の稀勢の里の印象を次のように述べています。

「(中学時代は)ピッチャーで打つ方もよかった。エースで4番という感じ。僕は2番手で2番サードとか。エースで投げたのは最後の夏だけだから、あまり投げてる印象はないかもしれないですね」

出典:スポーツ報知

 このように美馬選手の発言からも当時の稀勢の里は、野球も相当凄かったことが分かります。ちなみに美馬選手と稀勢の里は今でも連絡を取り合う間柄です。

 そして、中学卒業時に稀勢の里には、なんと名門・常総学院や美馬選手が進学した藤代からスカウトもきています。ただ、鳴戸親方の両親への熱心な説得と校長先生の後押しもあって、稀勢の里は、野球の道を断念して相撲に専念することになります。

 もし稀勢の里がそのまま野球を続けていたら、プロ野球選手になっていた可能性も十分ありえる話です。

総括

 稀勢の里が優勝して横綱になったときなんかは、稀勢フィーバー一色で「サッポロ一番 田子ノ浦部屋監修 塩ちゃんこラーメン」などの稀勢の里の関連商品もすぐ売切りれたそうです。

 また、小さい頃に行っていた野球だと、やけにプロ野球選手との関わりが多い気もします。そういった星の下に生まれていたとも言えるかもしれません。

 稀勢の里関、横綱昇進本当におめでとうございます!今後は横綱して益々のご活躍をお祈り申し上げます。