【大相撲】序の口以下!「前相撲(番付外)」とは?昔は番付に載っていた事実

2020年9月23日

序ノ口よりもさらに下の地位、それが「前相撲」です。現在では、番付には乗っていない地位ですが、その歴史に遡ると、実は前相撲も現在とは色々と違い点が見受けられます。

当記事では、その前相撲について詳しく説明しています。前相撲は、力士にとって新たな門出!通ならここから見るべし!

前相撲とは?

前相撲には2つの意味があります。1つは、新弟子検査に合格した力士、あるいは何らかの理由で序ノ口陥落をして番付から外れてしまった力士の地位を示しており、別名「番付外」とも。そして、もう1つは、その力士たちによる取組を意味しています。

前相撲の地位に関していえば、序の口以下となるので正真正銘の最下位という位置付けになります。また、力士の見習いと呼ばれるのもこの時期です。

前相撲の流れ

前相撲は、基本的にその場所3日目~5日目(3月場所は2日目から)にかけて行われ、序ノ口よりもさらに前となる早朝(8時25分頃)に取組が始まります。

ちなみに3月場所の前相撲は、卒業シーズンと重なるため前相撲を取る力士が特に多く「就職場所」とも呼ばれています。
 
前相撲は先に3勝した力士から抜けて「出世」となります。仮に前相撲で1勝出来ずとも、最悪一番を取れさえすれば翌場所は自動的に序ノ口へと昇段します。ただ、勝敗のカウントこそつきませんが、前相撲で収めた成績は番付の順位に加味されます。
 
めでたく序ノ口入りが決まれば場所中日(8日目)、三段目取組途中に一番出世(再出世は除く)として、力士たちが披露されます。

例外的に人数の多い3月場所は、先に勝ち上がった力士から5日目に一番出世、9日目に二番出世と2回の出世披露があります。そして残りの力士が三番出世となります。

前相撲にも関心を向けると、今までよりさらに大相撲を楽しむことが出来るでしょう。

昔の前相撲との違い

前相撲も昔と今とでは異なる部分がいくつかあります。

昔は前相撲と序ノ口の間に別の地位があった

今でこそ前相撲から序ノ口にはすぐ出世することができますが、昔は1年以上序ノ口に上がれないことなどザラにありました。それどころか、結局序ノ口に上がれずにそのまま廃業してしまった力士も大勢います。いい例としては、後の横綱となる東富士が新序に上がるまでに1年以上かかっています。
 
それというのも、昔は前相撲の上にすぐ序ノ口があったわけでなく「相中」、「本中」と呼ばれる地位が間に挟まれていたためです。ですから、昔は序ノ口に出世するだけでも相当な労力を費やしていたのです。

昔は「ちらし取り」と呼ばれていた

1944年まで前相撲は「ちらし取り」と呼ばれており、仕切りなしでいきなり取組を始めていました。その光景から「飛び付き」といった別称も誕生しています。

初めは前相撲も番付に載っていた

江戸番付は1757年10月場所から刷られはじめています。登場したばかりのころは7段あって、実は前相撲、相中、本中の力士の名もしっかり記載されています。

その後、番付は5段になってしまい本中以下の力士の名は外されています。

 
参考文献:日本相撲大鑑