大鵬対柏戸~優勝を決めるは巴戦~(1961年9月場所)


 1961年9月場所は、大鵬、柏戸、明武谷の3力士が巴戦で優勝決定戦が行われた場所だ。特に巴戦での大鵬対柏戸は、非常に白熱した名勝負となっている。また、翌11月場所には柏戸、大鵬が同時に横綱なったことからも、二人を語るのに欠かせない場所でもある。大鵬時代、その幕開けがここにある。

1961年9月場所あらまし

 “栃若時代”と称させられた1950年代後半であったが、1960年5月場所をもって栃錦が引退。これ以降は若乃花、朝汐(朝潮)の二人横綱となるも、同年9月場所までに三役5場所連続勝ち越しを決めて大関となった柏戸がメキメキと力を付けていた。

 だがしかし、柏戸よりも1歳半下の大鵬がそれを上回る速度の急成長を遂げており、同年11月場所には、関脇ながら先んじて優勝を果たし大関となっている。そして、柏戸も負けじと翌年1月場所で優勝を果たした。

 このように1961年とは、大鵬、柏戸の“柏鵬(はくほう)”時代へ差し掛かろうとしていた時期だ。

 さらに同年7月場所には大鵬が2度目優勝を果たしたことからも、1961年9月場所とは、ちょうど時代の移り変わりだったことが分かる。

優勝決定戦は巴戦

 まずこの場所は、横綱・朝潮が初日から3連敗を喫して、4日目以降は休場をしている。対する若乃花も5日目に大晃に敗れ、続けざまに出羽綿にも黒星を喫して2連敗している。

 だが、大鵬、柏戸に至っても若乃花とほぼ同じ成績で、10日目を終えた頃は3人とも8勝2敗として、優勝は全く予想がつかない状態だった。それでも優勝は、少なくともこの3人で争われるものと考えられていただろう。

 しかし、ここきて伏兵・明武谷が突如として優勝争いに名乗りを上げた。

 明武谷はこの場所、前頭4枚目として10日目までに3敗を喫するも、翌11日目で勝ち越しを決めて好成績を上げていた。12日目以降も明武谷は、怒涛の7連勝を決めて、千秋楽が終えることに12勝3敗としたのだ。

 これにより、同じく12勝3敗で踏みとどまった柏戸、大鵬らと明武谷の3力士が最後まで残り、優勝決定戦は巴戦での争いとなった。ちなみに本割だと柏戸対大鵬は、柏戸が白星を上げている。

 また、若乃花は、途中までは良かったものの、最後14日目北葉山、15日目柏戸に2連敗をしてしまし、最終的に10勝5敗でこの場所を終えている。

巴戦は大鵬の2連勝で優勝!

 向かえた巴戦では、初めに柏戸対明武谷が組まれ柏戸が先に勝利を収めている。そして、直後に組まれた柏戸対大鵬が、両者一歩も引かない非常に見ごたえのある名勝負となった。柏戸はこれを決めれば優勝で気合いが入り、大鵬にしても本割での雪辱を晴らすべく闘志をメラメラと燃やしていたといったところだろう。

 取組は立ち合いから互いが勢いよくぶつかり右四つになるも、すぐさま柏戸が左手で大鵬に喉輪を決めて土俵際まで詰め寄る。これを凌いだ大鵬は、体を返してすぐさま左上手を取ることに成功。だが、柏戸はそのまま両差しを決めて吊り上げる。これで決まりかと思われた瞬間、最後、大鵬がうっちゃりを決めて大逆転勝利を収めた。

 見事、本割での雪辱を果たした大鵬は、優勝を決めるべく明武谷との大一番をすぐさま迎えたが、実にあっけない幕切れとなった。

 お互い立ち合いから突っ張るかたちになるも、大鵬がすぐさま左四つの態へ持ちこみ、明武谷を一気に寄り切って軍配を上げている。

 大鵬は、これにより通算3度目の優勝を決めて、自身初の連覇も果たしたことになる。

 そして、翌11月場所には大鵬と柏戸の両力士が同時に横綱になったことからも、1961年9月場所は一つのターニングポイントだったといえる。

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1961年9月場所:大関・大鵬12勝3敗(優勝)































同場所:大関・柏戸12勝3敗































同場所:西前頭4枚目・明武谷12勝3敗
































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